MISONO's NEWS

校長の声

校長の声『昔話』

 昔話と言えば概ね、お年寄りが自分の経験と得意な知識を、興味も関係もない若い人に押しつける一方的なおしゃべりだという印象をうけるが、今回の「校長の声」は正にこのような昔話になると警告して、本論に入る。

 死語とも言われているラテン語は、毎日全世界のカトリック教会のミサで生きていた言葉であったということは昔話のように聞こえるかもしれないが、教会の典礼が各国の言葉で行われるようになってからまだ55年しか経っていない。この改革をもたらしたのは第二バチカン公会議(1962-1965)であったが、変わったのは言語だけではなく、典礼に使われているテキストにも変化が見られる。個人的に気になるのはレクイエム(死者のためのミサ)から姿を消した"Dies Irae, Dies Illa" (「怒りの日」)、福音朗読の前に歌われた、最後の審判を劇的に描くセクエンツィア(続唱)である。

 気になる理由は音楽である。このテキストは今でもレクイエムのいくつかの名曲(モーツァルト、ヴェルディ、ベルリオーズ)の中で生き続けていて、人を感動させているのである。しかも、「怒りの日」のグレゴリオ聖歌のメロディは、レクイエムと全く関係ない曲にもよく使われている。例えば、ベルリオーズの幻想交響曲に登場するタイミングはこの曲の不思議な雰囲気を醸し出す一つの要因なのである。

 ところで、一つのメロディの使用は決して一方通行ではない。アニマルズのヒット曲「朝日のあたる家」(元々アメリカ合衆国のフォーク・ソング)のメロディに予想しなかったところで出合った。会議のために滞在していたブラジルの町でミサ曲の一部に使われていた。もっと昔の話になるが、ポップソングのメロディがミサ曲になる例は数多くある。有名なのは15世紀のジョスカン・デ・プレのミサ曲「武装した人」である。そしてバッハのマタイ受難曲で大事な場面をマークする聖歌、"O Haupt voll Blut und Wunden"、「おお、血と涙にまみれた御頭よ!」のメロディは元々憧れの女性を慕う恋の歌であった。

 今年の3月25日からの一週間を教会はイエスの死と復活を記念する「聖週間」として祝う。2000年前の出来事が単なる「昔話」で終わらない、私達に話しかける生きている物語になるために、それを記念する典礼の厳粛な伝統を親しみやすいポップソングのメロディで歌うことも必要であると思う。人類のために死の苦しみを受けてくださった神の子イエスに心に訴える新しいlove songを歌うことは各時代の課題となっているからである。

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1枚目:"Dies Irae, Dies Illa"のグレゴリオ聖歌のメロディ

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2枚目:"L'homme armé"「武装した人」のメロディ

K11-3.jpg3枚目:毎年の10月に南山大学のパッヘスクエアで行われる野外宗教劇『受難』も

このようなlove songの具体例であろう。

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