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校長の声

校長の声『バベルの塔』

 同じ人間なのに、人は何故数多くの言語で話しているのか。旧約聖書の「バベルの塔」の神話は極めてわかりやすい説明になる。人々はかつて共通言語を用いていた。その人々はとんでもない企画として「天に届く塔を建てよう」と呼びかけた。それを知った神の怒りにふれて、人々は共通言語を失った。互いに話が通じなくなった「彼らはこの町の建設をやめた」という結果になった。(創世記11章7節)

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 この納得がいく、分かりやすい説明の延長線で考えると、外国語教育は真に天罰の続編に見える反面、でたらめな英語表記を訂正できる外国語の先生にとって雇用保障となっている。

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 バベルの塔の失敗がもたらした被害はめんどくさい外国語を学ぶ授業だけではない。自分の言語と文化を根拠にして、何も考えずにほかの言語で話す人を位置づけてしまう危険に、いつも注意すべきであろう。古代ギリシアの人はギリシア語を話せない、ギリシアの慣習を知らない人をßάρßaροι(バルバロイ)と呼んでいたが、この言葉は今でもヨーロッパの言語で「野蛮人」という意味で使われている。英語を使って仕事ができない人は、グローバルな社会に貢献できないという偏見に通じる側面があるのではないか。

 色々な外国語を教えたり学んだりする取り組みを神が下した罰の悪影響として、少しでも和らげる努力を評価すべきか、それとも批判すべきか。どちらにしても、注目すべきところは外国語教育の目的であろう。神が混乱させた外国語の裏には1つの重要なメッセージが隠れている。色々な言語でコミュニケーションをとれる人間であるからこそ、私達にはこの貴重な能力を活かして全ての人が一緒に生活できる"common home"(「ともに暮らす家」)を築ける使命がある。

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 バベルの塔のようなものは、やはり要らないと教えてくださった神にThank You!を言いたい。

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