校長の声アーカイブ - 聖園だより|聖園女学院中学校・高等学校

聖園女学院中・高等学校

聖園だより

Retreat

 「軽井沢」と言えば、「ショッピングできる避暑地」というイメージを持っている方が多いかもしれないが、この軽井沢には宗教と関係がある名所もある。軽井沢銀座からChurch Street(教会通り)を通ればアントニン・レイモンドが設計した聖パウロ教会、サンセットポイントとして知られている旧碓氷峠の方面に行けばショー記念礼拝堂、そして雲場池の近くには神言修道会の黙想の家がある。

 黙想の家のことを英語でretreat houseと呼ぶが、この"retreat"という言葉には"to go on retreat"、静かに自分の今まで歩いてきた人生の意味を振り返る「黙想・静修」のほかに、(敗北で終わる可能性がある)戦いからの"retreat"、撤退という意味がある。換言すれば、「黙想」には逃げて撤退する側面は欠かせない。 「主はわたしの岩、砦、逃れ場/わたしの神、大岩、避けどころ」(旧約聖書の詩編18編3節)で示されているように、この世の煩悩から神の所に身を潜めたくなる時もあるからである。

 殆ど毎年の夏この黙想の家で静かな時間を過ごしてきた私にとって、軽井沢は-何が本当に大事であるかを考えるための-文字通りの「逃れ場」、日常の雑業に負けないように戦略的な撤退を可能にする場である。言うまでもなく、このような場は軽井沢だけではない。年間行事の「静修の日」が行われている聖園女学院の講堂は今年もまた参加者にとって過去を振り返り、そして今後のことを考えることができる「逃れ場」になることを祈っている。

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1枚目:軽井沢銀座

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2枚目:軽井沢銀座から見たChurch Street

K33.jpg3枚目:聖パウロ教会外見

K34.jpg4枚目:聖パウロ教会内

K35.jpg5枚目:ショー記念礼拝堂

K36.jpg6枚目:雲場池

K37.jpg7枚目:神言会軽井沢修道院

K38.jpg8枚目:神言会軽井沢修道院チャペル

 

Holidays

 学年を前期と後期にわける、教員・生徒が共に楽しみにしている夏休みとは何か。英語の"holiday"、ドイツ語の"Feiertag"、そしてフランス語の"jour férié"を出発点として、比較文化的な観点からこの勉強とは全く関係ない期間とされているシーズンの意義について考察することにした。

 ただし、今示した3言語の言葉を(仕事や学校のない)「休日」と翻訳できるが、その語源を見る限り、どちらも、大事なことを祝う日として、宗教的な背景がある。Holidayは、文字通り、holy、聖なる日であり、そしてドイツ語とフランス語はラテン語のferiae、神聖な行事を行う祭日である。しかし、夏休みのような休日の連続になると、話は変わる。ドイツ語のSommerferienは宗教的な側面を保っているように見えるかもしれないが、実際に英語とフランス語とが表している同じ現状を指している。ラテン語のvacare、「空白の状態である」に由来する英語の"vacation"とフランス語の"vacances"は宗教と関係ない有給休暇、何の予定も入っていない、空っぽな日の連続なのである。

 考えてみれば、日本にも似たような現象が見られる。昭和天皇の誕生日(昭和の日)、憲法記念日、そしてこどもの日(元々端午の節句)は祝っている内容が無視され、毎年交通渋滞と電車・飛行機の満席でニュースとなる連休に過ぎない。本来大事なことを祝う(祀る)ために設けられた祝日・祭日は単なる「休日」になっている現状を考えれば、聖園女学院の誕生日・創立記念日である5月30日に職員黙想会が開催されることは極めて有意義な企画である。(蛇足になるが、国際的なランキングの休日の数であれば、日本の16日は、韓国等と一緒に第2位である。第1位はインドとコロンビアの18日。)

 さて、かなり批判的な前置きになってしまったが、最後に有意義な夏休みについて自分なりの提案を手短く紹介したい。夏休みの「休」の字はヒントになると思う。「木」にもたれてくつろいでいる「人」のイメージはsummer vacation, Sommerferien, vacancesの精髄を表している気がする。(なお、この都合がいい解釈はあくまでも一人の偏屈な外人の勝手な想像として受け止めてほしい。)しかも、これは決して使徒パウロが批判している「怠惰な生活」(テサロニケの信徒への第2の手紙3章11節)ではない。むしろ自分にしかできないことに打ち込む活動を通して、「自分の木」の下で(大江健三郎著)、自分の本当の姿を再発見できるチャンスは、夏休みのholy daysの元々の意味ではないかと私は思う。

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Ⅰ枚目:日本の夏休み

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2枚目:オランダの夏休み

VOX#02_c_France-Paris_2007.jpg3枚目:フランスの夏休み

山の上にある町

 藤沢に来て先ずは、聖園女学院の近辺を歩きながら、新しい生活環境を調べることにした。その時、私の目を引いたのは白旗の住宅地から見える校舎であった。「流石、カトリック学校」と、イエスの有名な言葉を実現した眺めだと思った―「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」(マタイによる福音書5章14節。)看板に「みその」のふりがなが加えられたことに納得ができた。多少目立って、聖園の存在を積極的にアピールする狙いが籠められているという印象を受けた。

 私が(学生、そして教員として)38年通っていた南山大学にも同じような風景がある。北から山手通りを登って行けば、名古屋大学を見下ろすA棟の上に「南山大学」という看板が見える(ふりがななし)。やはりトップにいるという立地条件を活用しなければならない。

 ところで、問題点もある。具体例はヨーロッパ研修旅行でギリシアのアテネを見学したときのある学生の一言である。バスからかの有名なアクロポリスを見上げて「今から何をするのですか」という質問に対して「登るよ」と元気よくアナウンスしたら、学生はもう一度この貴重な世界遺産を見上げて「やめた」と言って、バスに残った。

 古代ギリシアからまた藤沢に戻ろう。いつか友人が教えてくれた小林一茶の詩が聞こえてくる気がする。

悠然として 山を見る 蛙かな

 遠くから見られるだけでなく、「登ってみたい町」として今でも慕われている「みその台」を毎日のように登って行くことを積極的に(「継続は力なり」)受け入れても、悠然と見るだけで物事を完結できた蛙が羨ましい。

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