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校長の声

校長の声『涙』

 新約聖書で語られている「世の終わり」と言えば、直ぐに浮かんでくるイメージはシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの有名な「最後の審判」のフレスコ画であろう。ところで、神のイメージは(例えばマタイによる福音2531節~46節で描かれている)厳しい世の終わりの裁判官だけではない。神は人と共に住み、「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」(ヨハネ黙示録214節)という、新しい世界を描く文章もある。余計なことを言わないで、「よしよし」と泣いている子供を慰めてくださる優しいお父さんのイメージである。神の手に触れて、ずっと抱えてきた苦しい想いと疑問はその時跡形もなく消えてしまう。

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 全知全能の神だからこそ、言葉を使わないで、その手が完璧な答えとなっているが、人間同士である我々は対応で迷うこと多々ある。

 聖園女学院を受験して、合格証を受け取った女の子は直ぐに涙が溢れてきた。うれし泣きなので、他人から受けるねぎらいの言葉よりも、自分の涙こそ今まで苦労した想いへの答えとなるという印象を私は受けたのである。

 合格を発表する時期は、花粉症で苦しんでいる人が倦む季節でもあるが、アレルギー反応として出る涙と一緒に、自然に「何故私なのか?」という、隣の元気な人と自分を比べる嘆きも出る。不合格になった受験生も、涙を流しながら、同じ嘆きになる。「忍耐してがんばってください」は必ずしも慰めの言葉にはならない。

 ワニの涙("crocodile tears")になると、その解釈ははっきりしている。涙を流して獲物をおびき寄せ、涙を流しながらそれを食べるワニなので、自分が美味しく食べている生き物に「お前は本当に可哀想だね」と声をかけても、これは空涙、嘘の涙に違いない。例え、この涙が特定の肉に対するアレルギー反応であっても、可哀想なのはワニではない。

 桃太郎神社(愛知県犬山市)には涙を流す鬼*1 の像がある。「鬼の目にも涙」という諺は単なる比喩ではない。しかも、鬼の裏には心を込めた言葉が書いてある。「もう悪いことはしません。この涙を見て下さい」と。涙を拭い取ってあげたいという気持ちを押さえて、「鬼の涙もワニの涙」という結論は正解であろうが、神はこの件をどう考えているのかはやはり少し気になる。

K48-2.jpg*1 Youtube「愛知県犬山市 桃太郎神社 鬼の目にも涙」:https://youtu.be/PCGzTVpVgYk

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