校長の声『求めなさい。そうすれば、与えられる。』
イエスの有名な言葉(マタイによる福音書7章7節)であるが、人によって大分違う解釈になり得る。祈りの力に頼って前向きに動き出す人もいれば、自分にとって都合がいい言葉に聞こえる人もいる。後者の考え方に警戒を促す言葉もある。「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」(ヤコブの手紙4章3節)
祈りの本質について考えさせる、意味深い言葉である。何かを願い求めるときにその祈りに欠かせないのは、真剣に求める勇気と、自分の考え方の狭さを意識する謙遜さである。これはいつでも簡単にできることではない。
今年の聖園祭の前に私は自分のフェースブックのサイトに次の祈りを載せた。
「傘不要の2024年聖園祭になるように」。
多くの人を楽しませる聖園祭には、良い天気も欠かせないからである。
聖園祭が終わって、「求めなさい。そうすれば、与えられる」に含まれている意味に気がついた。求めたことの85パーセントを頂いた結果になっていたが、受け止め方は二通りがある。一つは85パーセントしか頂けなかったと、もう一つは幸いに85パーセントを頂けた、という受け止め方である。
ある知人は面白いコメントを書いていた。「ちょうどいいかも。腹8.5分目。」色々なことを求めても、自分にとって何が一番いいか分からないのが人間なのかな。