校長の声『綺麗な文字』
十代半ば頃の話である。手書きの手紙に対して次の指摘を受けた。「読めないから、もっと綺麗な字で書き直しなさい。できなければタイプライターを使いなさい。」その時の「綺麗」は「読みやすい」という意味であった。
小生の手書きは相変わらず読みにくいが、来日してから「綺麗な文字」の意味は多少変わった。日本語学校で受けた書道の授業をきっかけに、「綺麗」のもう一つの意味に気がついた。綺麗な字は必ずしも読みやすい字ではなく、先生の指導で倣った書き順に沿って自分の心を書き込むことで綺麗な文字につながる。
換言すれば、書道の目的は情報提供ではなく、劇のセリフのように、言葉に含まれている想いを表現することである。表面的に見れば、「神は愛なり」と「独りうまれて獨り死す」は否定できない事実を伝える言葉ではあるが、その言葉の深い意味は読みやすい文字だけでは伝わらない。
ユニバーサルデザインフォントのように、文書を読みやすくする文字ではないかもしれないが、宗教を超えて人の心の想いを伝えるのは書道ではないか、と思ったのはパソコンがなければ文字を書くことが苦手な小生である。