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校長の声

校長の声『正解』

 分からないことがあれば、これに詳しい人に質問すれば答えが得られるが、質問する目的は必ずしも正解を教えてもらうことではない。先生に注目して欲しいとよく質問する生徒もいれば、生徒の理解を確かめるために口頭試問で難しい質問をする先生もいる。そして突然、とんでもない質問で相手を困らせることを楽しんでいる人もいる。ところで、このような意地悪な質問は直ぐに跳ね返ってくることがある。5月半ば頃アメリカで放送されたCBSの番組には、次のような場面があった。

 司会者のスティーヴン・コルベアがゲストの俳優キアヌ・リーヴスに投げかけた質問:"What do you think happens when we die, Keanu Reeves? " 「私達が死んだら何が起こると思いますか。」観客は予想外の質問で笑ったが、リーヴスの答えを聞いて一瞬で静かになった。"I know that the ones who love us will miss us." 「私は知っている。私達を愛している人は私達がいなくなったことを寂しく思うのです。」

 考える時間も与えないで、いきなり死後の世界や(キリスト教の教えである)復活について軽率な発言を誘う質問に聞こえるが、答えは全く別な方向に目を向けさせた。注目されているのは死んだ人の行き先ではなく、今生き(残っ)ている人の想いである。

 このやりとりを伝える記事を読んで、新約聖書のある話を思い出した。(マルコによる福音書1218節~27節。)自分が学んだことに自信満々の学者は一つの質問(亡くなった人の結婚生活は天国でどうなるのか)で死者の復活を教えていたイエスを困らせようとしたが、イエスは、丁寧な説明の最後に、死後の世界を注目する質問は的外れである指摘した。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」

 自分自身、そして愛する人の死に直面して、自然に「死んでからどうなるのか」という質問は浮かんでくる。必ず死で終わる人生なので、無視できることではないが、「死んでみないと分からない」という「正解」は必ずしも答えにはなっていない。視点を置き換えて「今生きている私達の命とは何か?」という質問であれば、一つの答えが見えてくる気がする。「『今』を生きてみないと分からない。」無論、実際にやってみないと「正解」にはならないが、教会のステンド・グラスや茶屋の掛け軸を見ながら黙想することはその第一歩になるかもしれない。

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