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校長の声

校長の声『道標(みちしるべ)』

 知らない所を初めて訪れる時に私達が頼りにしているのは、整備された道の傍に立っている道路標識である。この標識を参考にしながら(場合によってその地方の住民に道案内をしていただきながら)道なりに進めば目的地に届くと信じて、私達は歩き続ける。疲れ始める私達をかなり親切に勇気づける標識もある。藤沢本町から聖園女学院へ、そして軽井沢から旧碓氷峠への歩道を案内する標識は具体例である。

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 碓氷峠への案内には面白い特徴がある。頂点までどのぐらい残っているかと一緒に、今まで登ってきた距離を知らせてくれるし、そして突然熊が出てくるかもしれないと注意を呼びかけている。言うまでもなく、聖園坂の途中で熊に出会う心配は不要である。

 道路と標識があるから予測できる範囲で動いているけれども、人生の旅路は必ずしも私達人間が作り上げたインフラ整備の内側を通るものではない。「先生、どこに泊まっておられるのですか」と聞いた二人の弟子にイエスは住所を教えないで、「来なさい。そうすれば分かる」と、付いてくるように勧めているだけである。(ヨハネによる福音1章38節~39節。)しかも、向こうから質問されなくても、イエスはいきなり「わたしに従いなさい」と話しかけることもある。(同上42節。)換言すれば、場合によってイエスは道も目的地も見えない状況の中で動く道標になる可能性がある。

 「旅は道連れ,世は情け」  誰かが先に立ってしっかりと歩いているからこそ、道が見えなくても付いていく勇気が出る。普段"Don't follow me, I'm lost too"(「後について来ないでください、私も迷っているよ。」)と言いたくなるであろうが、自分もいつか動く道標になる使命が廻ってくる覚悟も必要であろう。

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追伸

 ドイツのハイキングコースをマークする目印を見て考えた。選択肢が多いこともまた迷いの元、と。

人生の旅路もまた、然り。

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