校長の声『つながり』
9月下旬に自分がメンバーとして登録されているソーシャル・ネットワークからメールが届いた。「Michaelさん、新しいつながり候補を確認してください。」という、他のメンバーを紹介する、定期的に送られてくるメールであった。普段紹介されている方の情報を確認しないでメールを直ぐに削除するが、今回は取るべき対策でかなり迷っていた。いつものように、メールの頭に私の名前と写真はあったが、紹介された人物は予想外であった。
「Michael Calmanoさんをご存じですか?」と聞かれても、「知っているよ」と、自信を持って答えることはできないし、しかも、こういう知らない人物と「つながりを申請」する勇気もないと思った。
「一人の存在は必ず一つの貴い使命(ミッション)を持っている」という聖園女学院の教育理念から自然に出る教育目標として、私は必ず「自己理解」を取りあげる。言うまでもなく、生徒に自己理解(「あなたはこういう人だよ」)を直接に教えることはできないが、それに役立つ知識技能を提供できる環境整備は聖園女学院のミッションである。
自分のことを知らなければ他者を理解することも不可能であるが、自己理解と他者理解の両方に欠かせないのはつながりである。聖書が教えている有名な「愛の掟」、「隣人を自分のように愛しなさい」はこのつながりのもう少し深い次元を示す。『隣人を自分のように愛することこそ本物の自分の発見になる』と。
日本のロータリークラブの例会等で歌われるロータリーソングには次の歌がある。
手に手つないで つくる友の輪
輪に輪つないで つくる友垣
手に手 輪に輪 ひろがれまわれ
一つ心に (後略)
ロータリアンにならなくても、人と人とをつなげる輪を広げることは聖園女学院の生徒、教員、そして卒業生のミッションではないか、と私は思う。