校長の声『カタカナ語』
日本に来て日本語を勉強し始めたら、毎日のように新しい発見があった。その一つはカタカナ語となっていた、いくつかのドイツ語の単語であった。例えば、「クランケ=患者」、「ザイル=登山用の綱」と「ゲレンデ=スキーの練習場」は専門用語として使われていた。(最近あまり見当たらない気がするが。)
ところで、日常会話や専門分野で外来語を使うのは日本語だけではない。"Schadenfreude"というドイツ語の言葉はアメリカでも通じるのである。ジーニアス英和辞典で検索すれば「他人の不幸を喜ぶ気持ち」という定義が出てくる。そして「絵文字」は"emoji"として、言語と文化を越えて世界中で解釈なしに理解される「言葉」となっている。
新約聖書のローマの信徒への手紙には次のような言葉がある。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(15章15節)平和な社会を支える人間関係に欠かせない心構えを絵文字に変えれば
になるであろう。
しかし、我々人間には素直に共に喜び、共に泣くことを妨げる思いも多々ある。
勝負に勝って喜ぶ人を嫉妬の目で睨むこともあれば、
負けて泣いている人を見て、Schadenfreudeに駆られて「様を見ろ」といいたくなることもある。
考えてみれば、このような気持ちの揺れに対して「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」は人間同士の交流、自分と関わっている人との関係を定期的に見直す励ましの言葉と聞こえる - 言語と文化を結ぶカタカナ語とemojiのように。