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校長の声

校長の声『静けさから学ぶ』

 夏休みが終わり、最初の登校日は聖園女学院の伝統行事、「静修の日」となっています。昨年と同じように、校内放送の話だけです。講話のテーマも同じです ー "Learning From Silence"、「静けさから学ぶ」。

 聖園女学院の1日の学校生活には祈りの時間も含まれていますが、「静修の日」は「祈りの場」と同時に、「静けさから学ぶ場」にもなっています。通常の学校生活と違う形でまた勉強に励む皆さんに、ある人が取り組んだ静修のことを紹介します。新しい一歩に踏み出す前に静けさを求めたイエスの話です。

 マルコによる福音書1章9節~13節                                                                  そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。それから、"霊"はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

 今までやらなかった新しいことに手をかけようとしているイエスの体験話ですが、皆さんに何を教えているのでしょうか。今日の静修は「また始まった」のではなく、「いまからだよ」という、新しい出発点だと確認する呼びかけです。その確認に必要なのは静けさの「場」、普段聞こえてこない、見えてこないことに気付くための場です。

 イエスの場合はこの「今からだよ」と示したのは天からの声でしたが、イエスはそこから早速公の活動に取り組んだわけではありません。この声と公の活動との間には、砂漠における40日間の静修がありました。「今からだよ」という使命を与えられたのに、イエスは何故荒れ野に送り出されたのでしょうか。

 一つの解釈は「職業訓練」でしょうが、砂漠に行って目指しているのは社会活動のための勉強ではありませんでした。むしろ、今まで学んできた、聞いてきた自分のことを確かめるために、イエスは砂漠に送り出されました。今日の静修は40日の修業ではありませんが、短い時間であっても皆さんに「静けさから学ぶ」機会となれば、と私は願っています。何故かというと、静けさから学ぶことの大切さを見逃す危険はあるからです。

 その危険を指摘してしてくださるのはSimon & Garfunkelの名曲、The Sound of Silenceです。日常の雑音を離れて、Silence静けさの中で気付く大切なことはあります

people talking without speaking

 しゃべっているだけで、実際に役立つものは何一つ言っていません、自分も、他の人も。

people hearing without listening

 耳には人が話している音は入りますが、真剣に聞いてはいません、自分も、他の人も。静けさから学ぶことは心を込めて誠実に話しかけることと、心を開いて相手の話を聞くことです。

 言うまでもなく、そのために砂漠に行く必要はありません。聖園女学院にはチャペルもあるし、日本の文化のシンボルとなっている茶室も静けさの場となっています。「神は愛」という掛け軸が飾ってある黙想の家のチャペルは茶室と同じような空間となっています。そして皆さんが毎朝黙想している教室もこの静けさを与える場となっています。

2021-09-01_TheSoundOfSilence_a.jpg このような静けさの中で皆さんには何が聞こえてくるのでしょうか。外から妨げられていない、ありのままの自分の声が聞こえてくることは一つだと思います。そして、もう一つは、雑音が多い普段の生活環境の中で気付かない、一人ひとりに小さな声で呼びかけてくださる方からの言葉も聞こえてくるのです。

 聖園女学院の1日の学校生活を区切る授業の前の「黙想」、心を一つにして一緒に祈る時間は皆さんの勉強と活動の支えとなっています。学校に戻って、また友達と一緒に勉強に取り組む皆さんが今後も「静けさから学ぶ」ことが出来るように祈っています。

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