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校長の声

校長の声 『寝る子は育つ』

私の講義を聴いた南山大学の学生は授業評価の時に次のようなコメントを書いてくれた。

 「優しい、子守歌のような声なので安らかに寝れる授業だった。」

 「眠れなくなるからマイクを使わないで欲しい。」

 授業改善に繋がらなかったが、参考になる、と思った。

 人の話を聞いて眠ってしまうのは現代の若者だけではない。2000年前にパウロの話を聞いた若者の話はその証拠となる。

 「パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」(使徒言行録20章7節~10節)

 窓際ではなく、教室の椅子であれば特別な安全対策(シートベルト?)は必要ではないが、ここで注目して頂きたいところはこの青年の名前「エウティコ」である。このギリシア語を直訳すると、(神から頂く)幸(エウ)運(ティケ)になる。(ティコはティケの男性形)。

 運が良くパウロは現場にいたので助かった、というhappy endingの話は一つの重要な真実を教えている気がする。私達の命は自分の力で手に入るものではなく、神からいただいた賜物である。事故で死亡した青年エウティコは極端な例であるが、私達一人ひとりの人生は生まれるときに頂く命から始まる ー それについて考えさせるのが毎年のクリスマスシーズンのシンボルである飼い葉桶で眠っている幼子イエスである。

 VOX#56_3_2007-12-14NanzanManger04787.jpgところで、目を開けたままで手を上げる幼子はあまり現実的ではない。我々人間と同じように、寝る時間は目覚めている時間より長かった筈の幼子イエスは時間をかけて育ち、そして誰も予想できなかった救い主に成長したのである。

 寝る子は育つが、いつも寝たままの人生は神が与えてくださった命の賜物の無駄遣いになる。新年を迎えて、新しい始まりのために少し力を蓄えるためにゆっくりした寝正月はいいかもしれないが。

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