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校長の声

校長の声『平和の君』

 毎年12月24日の夜にカトリック教会が祝う夜間のミサで読み上げられている朗読には「主の降誕」、クリスマスにぴったりの言葉がある。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。」(イザヤ書9章5節)

 「子供が生まれた」と聞いて嬉しくなるが、聖書のこの知らせのポイントは「わたしたちのために」という言葉である。「私達」はたまに教会で集まっているキリスト信者だけではなく、全世界の人々を指している。一人のみどりごは全世界の人のために生まれたのである。

 この朗読で、みどりごのいくつかの名称は紹介されるが、そのうちの一つは「平和の君」、英語で普通"Prince of Peace"と翻訳されている名称である。生まれたばかりの子供であるが、「可愛い赤ちゃん」のイメージと多少矛盾する名称なっているかもしれない。

 「君」、"Prince"という言葉は偉い方の名称なので、会う前に色々考えてしまう。偉い方なので、必ず特別な、礼儀正しい挨拶が求められている、と。「可愛いね」と言いながらセルフィーを撮ることは許されない。

 もう一つ気になるのは「平和」のことである。今世界が抱えている紛争や戦争の問題をこの"Prince of Peace"に任せれば平和になると期待して、私達は自分にとって楽な道を選んでしまうことである。

 この「君」と「平和」の気がかりに関して聖園女学院の 生徒会は実にいい答えを教えてくださった。「身近なひとに愛の行いを」。

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 私達は皆、力を合わせて、平和の実現に貢献するように呼ばれている。たとえ、「平和の君」が生まれたとしても、自分ができることをこの平和の君に任せてはならない。むしろ、私達には必ず一つの課題が与えられる。私達にとって「身近な人」は誰であるかとわきまえること。その答えを示してくださったのはやはり「わたしたちのために生ま れたみどりご」である。

 平和の君としてベツレヘムでお生まれになったみどりごにとって「身近な人」は誰であったのか。答えは天使達がイエスの誕生を告げた人々、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いである。(ルカによる福音書2章1節~14節)最初に招かれたこの人々のことを配慮して、イエスは羊飼いにとって行きやすい場所、馬小屋を選んでくださった。これは礼服も要らない、普通の、仕事で使っている作業服で行ける場所であった。

 クリスマスで祝うことは何であるか。全世界の人々にとって身近な存在となってくださったイエスの誕生である。「平和の君」と言われている方ではあるが、一人の友達として私達と一緒に成長してくださるイエスの誕生である。今年も心を一つにして一緒に祝うことが出来れば、と私は祈っている。

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