高校3年生・中学3年生 卒業ミサ
卒業を控えた73回生(高校3年生)と76回生(中学3年生)が、卒業ミサに与りました。
司式は学校長 ミカエル・カルマノ神父です。
これまで見守ってくださった神様、そして支えてくださったすべての方への感謝の思いを抱いて臨みました。
完成したばかりの卒業アルバムを、カルマノ神父様に祝福していただきました。
高校3年生は、カルマノ神父様から一人ひとり祝福をいただきました。
中学3年生も祝福をいただきました。
〈カルマノ神父様のお話より〉
「ここまでよく頑張って、やるべきことを成し遂げてきたみなさん、今までやってきたことや、努力して自分のものとした知識と技能を基盤にして、卒業・進学後もがんばってください」とみなさんに伝えたいところですが、イエスの答えは全く別の方向を示します。
「今まで努力して得たものを、すべて手放しなさい」というのです。
誇りをもって身につけた能力を活用して、社会に貢献することはいいことですが、「自分がもっているもの」は、場合によってはもっと高いところへ進むにあたっての妨げとなる可能性があります。
みなさんが聖園女学院で得た教育、たとえば自分の能力を最大限に高める勉強や、一生涯の支えとなるであろう友達づくりは、非常に大切なものです。しかし、「これだけでは十分ではありません」。今まで努力して身につけた力だけでは達成できない、より大きな目標が見えてきたとき、私たちは何をすべきでしょうか。
講堂に飾られていたクリスマスツリーを思い出してみましょう。
綺麗なデコレーションがつけられて、面倒を見てもらえる安全な環境でみなさんの目を楽しませてくれましたが、このままにしておけば「本物のモミの木」にはなれません。やはり、飾りを取り外して聖堂のそばに植えたからこそ、本物のモミの木として成長していけます。余計なものを手放せば、「針の穴を通り抜ける」ことができます。
ここでみなさんにもうひとつ思い出してほしいのは、聖園女学院の教育理念を語るライネルス師の言葉「一人の存在は、必ず一つの貴い使命をもっている」です。身につけた能力を活かすために、神が必ず示してくださる使命を確認することは欠かせません。言いかえれば、自分が考えていることだけに頼らないで、神が呼びかけて示してくださる「使命」に気づくように、心の目を開く努力が必要だということです。
一人ひとりが持っている使命は「一人でやりなさい」という命令ではなく、協力をもとめる呼びかけです。「友達と一緒であれば、神と一緒であれば、自分には何ができるかを考えなさい」というのが、イエスのメッセージです。試練を伴う活動になるかもしれないけれども、そのような現実に直面する私たちの努力を支えて、より高い目標に導いてくださるのは、友達と神への信頼です。
みなさんが友達と神を信頼して、勇気をもって自分の力を超える領域に踏み出すことができるように祈っています。