校長の声 "Beauty is in the eye of the beholder."
「美とは見る人の目の中にある。」久々に藤沢の海岸に行ったときにこの諺の意味について考えさせられた。
今回気になったのは流木の積み重ねであった。
富士山の綺麗な姿と、処分を待っているゴミと、対照的なものに見えるかも知れないが、両方、富士山と流木の積み重ねを一枚の写真に収めたら、別なイメージが沸いてきた。
見えてきたのは単なる流木の積み重ねではなく、富士山の骨組みみたいな、美のイメージであった。
これは自分の目の中にある美であって、他の人には全く別なイメージが見えてくるかもしれない。どちらが正しいかと議論すれば無意味な対立になり、この諺が指摘している知恵を見逃す結果になる。求められているのは自分のものの見方を究明することである。頭の裏で動いている想像力は単なる幻想を生み出すこともあれば、見ているものの裏に隠れている美に気づかせることもある。
ものの中にある美と良さを見つける適切な見方についての聖書の言葉。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1章31節)物足りない、あまり良くないところもあるが、全てを有りのままで受け止めれば、「極めて良かった」と、その美が見えてくる。
全ての人が、神と同じように、矛盾だらけの世界のものを一つに繋ぐ美に気づくことは幻想、単なる夢に見えるかもしれない。しかし、神のものの見方を参考にして、本物の美を見つけるために訓練を続けることは、各自の夢の実現への第一歩になるであろう。